米子市内から大山(ダイセン)が一望できます。
大山は正確に言うと米子市の隣の大山町にあります。
西は遠く出雲地方からも見ることが出来ます。
米子(伯耆の国)から見る大山を「伯耆富士」と呼び、
出雲から見る大山を「出雲富士」と呼んでいます。
鳥取(因幡の国)から見る大山の呼称は有りません。なぜなら富士山の様には見えないからです。
大山について一言。一般的に「大山」と書かれていたら、山陰に住む人以外のほとんどは「おおやま」と発音するでしょう。
「山」という字は、「やま」、「サン」、「ザン」、「セン」と読みます。「サン」は漢音。
「セン」は呉音です。呉音とは、日本に古く伝来し、仏教関係の語に多い漢字の音で、深い歴史を物語る象徴的な読み方といわれています。
そこで、全国で「山」を「セン」と読む山を大山町が調べたところ、全部で70ほどが存在しましたが、そのほとんどが鳥取県と岡山県北部、そして島根県に存在していたのです。
また佐渡島、隠岐島にも存在しています。
これは中国や朝鮮から伝わったものらしいとされることから、仏教伝来とも大きな関わりがあるのかもしれません。この地域に「山」を「セン」と読む民族が住み、その勢力が徐々に拡大していった、そう判断する識者の方もいらっしゃるそうです。
大山は、こんなところでも神秘的なストーリーを残しているのでありました。
これ以外には、広島県宮島町の弥山(ミセン)、新潟県の佐渡に2山、石川県に1山、奈良県天川村に弥山(ミセン)と奈良県の大峰山脈のうち吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称である金峰山(キンブセン)などです。
若干話がそれますが、私個人の見立てでは出雲国の先達は中国(例えば、呉の徐福)または朝鮮からの移住者だと思います。
彼らは日本海沿いに移動していき勢力を伸ばし、大和朝廷と対峙するのですが如何せん大和朝廷に勝てるとは思わず国譲りで和睦を図るというストーリーです。出雲国には手を出すな、その代わり大和朝廷の支配下に入る。(未だに天皇家は伊勢神宮があるにもかかわらず出雲大社を別格とみなしていることはお判りでしょう。)
言わば神話の世界ではありますが彼らが生き延びるにはこれしかなかっただと思います。
ヤマタノオロチの神話は大陸からの鉄文化の象徴で、鉄の技術集団は鬼と恐れられたほどなのです。
岡山市郊外の鬼城山(きのじょうざん)に行くとよく解ります。桃太郎の鬼退治伝説と、ヤマタノオロチの神話、なかなか面白い話です。
しかし、大陸からの移住者だとすると説明が付かないことがあります。
ご存じのように古事記や日本書紀(西暦700年代初期)までに文字としての記録が存在しないことです????
あのころ中国には文字が有ったのですが、しかしこのことは出雲国だけではなく大和国にも当てはまることなので気にしないことにしましょう。